2015年8月8日土曜日

スバル360と人生ゲーム

 今、考えると車との出会いは幼少の頃までさかのぼる。
 私の記憶では5,6才の駆け出しの頃だったと思う。
 当時、私の家族は母親と弟と私の3人家族でもっぱらの移動手段はバス、汽車、自転車だった。一家は主に自転車で移動した。運転手は母親、後ろの荷台に私、前のカゴに弟と言う構図だった。当然、活動範囲は狭く半径5km以内でそれが私たちの世界だった。
ある日そんな一家の価値感を大きく変える密書が届いた。
 母親の妹の彼氏が車を購入したと言う内容だった。その上、その車で海水浴に行こうとつづられていた。後におじさんになるこの彼氏は当時、大学生で建築設計士をめざしていた。今、思えば初めてのマイカー購入で楽しくてたまらなかったのだろう。それは私も同様で生まれて初めてのドライブになる。
 当日、胸をわくわくさせながら大通りで迎えを待っていた。ちびっ子必須の浮き輪を腰にセットしていたのは言うまでもない。しばらく待っていると彼方から異様にチビな車がこちらへ向かって来る。フロントガラス越しに満面の笑顔のおじさんとおばさんの顔が見えた。車が到着しておばさんのホッペタを見るとまつ毛がつている。大量の汗でつけまつ毛が流れ落ちた事は幼稚な私にも認識できた。
 外観もボロボロで色はあせてあちこちにサビが浮いていた。今、思えば15年落ち位のスバル360だったのだろう。子供心に「おじさんは余程、お金がないのだな・・」と思った事を今も鮮明に覚えている。
 定員オーバーだがなんとか5人を詰め込んで海までGO!!地獄の暑さで意識がもうろうとしながらもなんとか海までたどりつき楽しい1日を過ごした。
あれから30年後、私がスバル360をチューニングする事となるとはこの時、誰が予想しただろう。

スバル360のエンジンの腰上の部分を取り外してボーリングしてオーバーサイズピストンを組み込む。
メインディシュはここからだ。点火系と燃料系をデジタル化にすると言う作戦だ。
デスビは当時出たばかりのニッサンSR20エンジンのクラセンのシャフトを加工してドッキング。クラセンの中の円盤に穴が4個あいているので対角上の穴を2個アルミテープでふさぎ2気等に対応させる。
 燃料系はインマニにインジェクターホルダーを溶接してインジェターを取付けた。それらをフルコンで制御した。点火時期を合わせてエンジンをかけセッティングに出かけてみると今まで60kmしかでなかったものが80kmまで出るようになりアイドルアップ装着もありエンジンのかけ始めもスムーズだ。
ただ、月日がたつにつれ何か違和感をおぼえる。それは日に日に増して行く。
 幼少の頃の懐かしさからてんとう虫をさわったのだがてんとう虫とは違う車になったのがその理由だと気づくのにそう時間はかからなかった。
エンジンが調子が悪くなればポイントをぺーパーでこすり。フィルターにゴミが詰まれば外して掃除する。手がかかる分愛情もわくと言うものだ。デジタル化でエンジン音やフィーリングも変わってしまった。
アナログのエンジン音や友達や彼女と苦労してなんとか帰って来たと云う経験がいつか楽しい思い出になるのだろう。
ハイブリッドが当たり前になりEVが出番待ちと云う時代を向かえ何か寂しい気がするが時代の流れには逆らえない。
 最近の車に乗ったら体調が悪くなり信号待ちでエンストしているのと勘違いしてセルをまわしてしまう私は末期の思い出シンドローム病におかされてしまっているか運転中にサビと言う鉄分が不足してしまうのだろう。

ところでその後、おじさんはどうなったか・・・・
大学を無事卒業して今では設計士になりその後、独立したようだ。息子も京大に入り現在は独立している。「貧乏から脱出する方法は教育しかない」と言う言葉を立証した人生と言う事になるだろう。
 人生はまさに人生ゲームだ。そう言えば人生ゲームにはまった時期があったが私の場合、なぜか子供ばかり増えてお金が貯まらなかったな・・・完。



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