2015年8月14日金曜日

オスの性(さが)

少し前に仕事で走っていると前に初代ホンダライフが・・・

しかも黒髪が美しい女の人が運転している・・・前のパブリカの一件もある・・・
私も波乱万丈の人生を乗り越えて来た男だ。2度騙される程、愚か者ではない。
さっさと追い抜こう。

真っ直ぐ前を向き通り過ぎる。。。はずが・・・勝手に・・・勝手に・・・クビが回転する・・・・・・・・・・
ゲッゲッ!! ロッジ似のおじさん・・・・ひとりでにたにたしている。。。。
固まった私はそのまま中央分離帯に突っ込んだのは言うまでもない。

完。



2015年8月10日月曜日

バブル時代 ナンパ 歩き編

 現代ではあたって砕けろ精神でナンパを慣行した場合98%の確立で不審者として事情聴取をうけるだろう。

これはバブル時代、ナンパに生きた熱い男達の物語である。

16歳、どんな事にも興味を持ちチャレンジ精神旺盛な青春時代真っ只中の年頃。

 私の他に乙と丙が集まった昼下がり情報源豊かな乙が言った。「帯屋町でナンパ出来るらしい今度、行ってみん?」私も丙も学術的な検地に照らし合わせても否定する材料を持ち合わせていなかった。

 次の日曜日、国鉄の駅に3人が集結した。汽車で市内まで行き帯屋町と言う商店街を往復してこれと思うギャルに声をかける計画だ。

まず一声が大事だ。乙によると「チャ(茶)でもしばかん?」と言うのが正当な声のかけ方だと言う主張を信じてそれに決まった。帯屋町は結構長く、歩くと一回30分かかる。又、よくよく見るとナンパ目的と思われるライバルが結構な数、往復している。3人の緊張は半端ではない。今、思えばロボットのような歩き方になっていたようだ。

 朝、10時頃到着して2時間位たっただろうか。まだ一人にも声をかけれない。なぜか?いろいろな難解な数式を算出してみた結果。勇気が足らないと言う結論に達した。誰が声をかけるか・・・丙が言った「オ、オ、俺が行く」、丙の風貌は坊主頭に自家製で紫に染めたYシャツと言うコーディネートを施している。ソリも一応、入れている事だし。。丙に頼もう。

 丙がターゲットにしたのはよりによって綺麗なワンレグのお姉さんだった。丙が一気にお姉さんに接近した。右足と同時に右手も同時に出ている。丙「あのーすいません・・」お姉さん「・・・・」丙「チャでもしばかん?」一瞬の緊張感の後、お姉さんが鬼のように笑い「ボク いくつ?」丙「今度16」お姉さん「今度ね」失敗だ。今考えると仕事中のOLで30歳近くだっただろう。若さ=無謀=アホの二乗である。

その後、3人で話あった結果、なんでも良いので声をかけてみようと言う事になりジャガイモみたいな女子にも声をかけた。ナンパと言うよりスポーツだ。足はガクガクでもう歩けない。全く相手にされない。3人は映画の広告スクリーンの前でガックリ肩を落として座っていた。

そこへ女の子が来て私に「あの人誰?」とスクリーンを指差し話しかけて来た。映画等、全く興味ない私は「知らん」と言った。少しの間、女の子もそこにいたが去っていった。私は「知らんぞにゃ」と乙と丙に言うと二人とも「知らんにゃ」と同意した。今、思えば最大のチャンスだった。。。。逆ナンパと言う言葉があるのを知るにはそれから長い時間を要するのであった。

完。


2015年8月8日土曜日

スバル360と人生ゲーム

 今、考えると車との出会いは幼少の頃までさかのぼる。
 私の記憶では5,6才の駆け出しの頃だったと思う。
 当時、私の家族は母親と弟と私の3人家族でもっぱらの移動手段はバス、汽車、自転車だった。一家は主に自転車で移動した。運転手は母親、後ろの荷台に私、前のカゴに弟と言う構図だった。当然、活動範囲は狭く半径5km以内でそれが私たちの世界だった。
ある日そんな一家の価値感を大きく変える密書が届いた。
 母親の妹の彼氏が車を購入したと言う内容だった。その上、その車で海水浴に行こうとつづられていた。後におじさんになるこの彼氏は当時、大学生で建築設計士をめざしていた。今、思えば初めてのマイカー購入で楽しくてたまらなかったのだろう。それは私も同様で生まれて初めてのドライブになる。
 当日、胸をわくわくさせながら大通りで迎えを待っていた。ちびっ子必須の浮き輪を腰にセットしていたのは言うまでもない。しばらく待っていると彼方から異様にチビな車がこちらへ向かって来る。フロントガラス越しに満面の笑顔のおじさんとおばさんの顔が見えた。車が到着しておばさんのホッペタを見るとまつ毛がつている。大量の汗でつけまつ毛が流れ落ちた事は幼稚な私にも認識できた。
 外観もボロボロで色はあせてあちこちにサビが浮いていた。今、思えば15年落ち位のスバル360だったのだろう。子供心に「おじさんは余程、お金がないのだな・・」と思った事を今も鮮明に覚えている。
 定員オーバーだがなんとか5人を詰め込んで海までGO!!地獄の暑さで意識がもうろうとしながらもなんとか海までたどりつき楽しい1日を過ごした。
あれから30年後、私がスバル360をチューニングする事となるとはこの時、誰が予想しただろう。

スバル360のエンジンの腰上の部分を取り外してボーリングしてオーバーサイズピストンを組み込む。
メインディシュはここからだ。点火系と燃料系をデジタル化にすると言う作戦だ。
デスビは当時出たばかりのニッサンSR20エンジンのクラセンのシャフトを加工してドッキング。クラセンの中の円盤に穴が4個あいているので対角上の穴を2個アルミテープでふさぎ2気等に対応させる。
 燃料系はインマニにインジェクターホルダーを溶接してインジェターを取付けた。それらをフルコンで制御した。点火時期を合わせてエンジンをかけセッティングに出かけてみると今まで60kmしかでなかったものが80kmまで出るようになりアイドルアップ装着もありエンジンのかけ始めもスムーズだ。
ただ、月日がたつにつれ何か違和感をおぼえる。それは日に日に増して行く。
 幼少の頃の懐かしさからてんとう虫をさわったのだがてんとう虫とは違う車になったのがその理由だと気づくのにそう時間はかからなかった。
エンジンが調子が悪くなればポイントをぺーパーでこすり。フィルターにゴミが詰まれば外して掃除する。手がかかる分愛情もわくと言うものだ。デジタル化でエンジン音やフィーリングも変わってしまった。
アナログのエンジン音や友達や彼女と苦労してなんとか帰って来たと云う経験がいつか楽しい思い出になるのだろう。
ハイブリッドが当たり前になりEVが出番待ちと云う時代を向かえ何か寂しい気がするが時代の流れには逆らえない。
 最近の車に乗ったら体調が悪くなり信号待ちでエンストしているのと勘違いしてセルをまわしてしまう私は末期の思い出シンドローム病におかされてしまっているか運転中にサビと言う鉄分が不足してしまうのだろう。

ところでその後、おじさんはどうなったか・・・・
大学を無事卒業して今では設計士になりその後、独立したようだ。息子も京大に入り現在は独立している。「貧乏から脱出する方法は教育しかない」と言う言葉を立証した人生と言う事になるだろう。
 人生はまさに人生ゲームだ。そう言えば人生ゲームにはまった時期があったが私の場合、なぜか子供ばかり増えてお金が貯まらなかったな・・・完。



2015年8月6日木曜日

きこちゃん ~失糞伝~

今日は我が友 きこちゃんを、紹介しよう。 

分類及び特徴
・きこちゃんは、住民基本台帳によるとホモ・サピエンス 人科に属しているオス。
 推定年齢40歳 主に四国山脈の山中に生息。「幽霊」を異常に怖がる。天災の前兆を感じとり異常行動をとる事がある。殆どの場合は無口である。その他、詳細は不明。
戦歴
・きこちゃんは、食事中に2回、糞を垂れ流した事がある。
・きこちゃんは、一時期、ちびバイク「ウルフ」にはまった事がある。山道をヒザを擦りながらコーナーリング中、突然ギヤが焼きつき転倒。対向車のマークⅡのボンネットにバイクが突き刺さった事がある。ろっ骨がくだけ血を吐いたが終止微笑んでいた。
・きこちゃんは、行方不明になったが大都会「トウキョウ」で発見された事がある。
・きこちゃんは、握手をしたら「親友」と思い込む。
・きこちゃんは、女暴走族のリーダーを見るなりいきなり寄って行き顔面を2発、張り倒した事がある。その後、さらしを巻いた女暴走族は男らしいきこちゃんに惚れ2年間つきあったが性欲旺盛、野獣のきこちゃんに女を壊され別れた。その後、風俗にはまるがプロも次々と壊されていった。
・きこちゃんは、普段、「お金を貸してくれ」と仲間に言われると断れない。
・きこちゃんは、断れないがあいにく手持ちがない時は電話をかけて来る。神経細やかなきこちゃんは、お金の事は切り出しにくく30分は無言電話となる。そういう時はこちらが察して切り出してあげるのが正当なやり方である。
 
対処方法
①きこちゃんと山中で遭遇した場合は、きこちゃんの目をじっと見つめながら後ずさりする。又は、握手をする。嗅覚が鋭くプライドが高いきこちゃんに対して決して死んだ振りをしてはいけない。
②幽霊の振りをする。
③貴方がもし女の場合はあきらめる。
そんなきこちゃんの周りにはいつも仲間が集まっています。 完。

2015年8月4日火曜日

見てはいけないもの

 今日、街を走っていると前に真紅のボディがいかす初代パブリカを発見。ドライバーズシートに美しい黒髪がなびいている。
たぶんエメロンシャンプーを愛用しているのだろう。前があいたので一気に追い抜き振り向くと・・・・エメロンシャンプーの女性・・・
いやおばちゃんが大口を開けてあくびをしている。銀歯を少なくとも5本確認した。。。。それだけの事だ。。。。
初恋の相手は永遠に心の中にいるもの・・・そう見ないほうが良い事ある。。。。人生はそんなものだ。 完。



2015年8月2日日曜日

バブル時代 夜の歓楽街編

 今日は、羽振りの良いおんちゃんが飲みに連れて行ってくれると言う。
この時、10代後半だったが私は16の時にはもう飲み屋にツケがある状態だった。未成年だからどうのこうのと言う時代ではなかった。又、タバコも吸わないようではギャル(女子)にもてないような時代だ。
おじさんが実家までハイヤーで迎えに来てくれた。中心街につくと万札(1万円札)を渡し、「おつりはえいで」とおじさん。しぶい!!
おつりは6千円位あっただろう。と言うか先輩も私も後輩を誘って行く場合は飲み代も全部出すのが当たり前の時代だった。タクシーのおつりに関してはバブル崩壊後もクセが抜けず、まず5000円札をあらかじめ用意しておいて2000円位の料金の時は5000円を出して「おつりはえいで」と段階的にリハビリしていった。完治するまでに5年の歳月を要した。

おじさんについて行くとやはり1件目からクラブだ。バブル時代お決まりのブランデーやシャンペンを飲んだ。圧巻なのは盛り上がってきたらおじさんが手持ちのバックを開けて中の一万円札をホステスにつかみ取りさせる事だ。もちろんチップで店中の女の人が集まってくる。ルールは簡単で片手でいくらつかめるかだ。新札なので掴みにくく今までの最高は70万円位との事だ。うーん・・・なんともうらやましい。。。

みんな次々と掴んで行く。一体、いくら入っているんだ!!「僕にもやらしてください・・」と言えばやらしてくれるのだろうがこの時代男は「武士は食わねど高ようじ」だ。
おじさんがトイレへ行った隙に勝手につかみ取りをしよう。私の中の悪魔が囁く。。。
おじさんがおもむろに立ち上がった。。。トイレだ・・・バックは・・・バック・・・バックはしっかり持っている。チャックまで閉めていると言う念のいれようだ。。。。成金はいっいっいい・・・嫌だ!!

 何時間か過ぎた頃、おじさんは私に「用があるのでこれでどっかで遊んできいや・・」と5万円を渡した。店の女子とどかかへ行くようだ。その時、私が想像したのは・・たぶん女の子と二人っきりで将棋でも指しに行くのだろう・・・どちらにしろさすがは成金、男の中の男だ!!一生、この人物についていこうと心に決めた。

それからおじさんを見かけたのは10年位たった頃の木枯らしの吹く寒い時だった。見る影もない。かっての栄光は想像する事はできない・・・以前にビジネスに失敗し、都会で夜逃げしたらしい・・と言う事は聞いていた。。。私は見つからないように看板のかげへ隠れたのは言うまでもない・・・
人生は難しいものである。 完。



2015年7月31日金曜日

バブル時代 サーキットⅥ

いよいよ耐久レースが始まった。A’が先発した。後方からのスタートだったが徐々に抜いて行く。
しかし中山の登り坂は1500ccの排気量ではきついものがある。最終ストレートでついにBMW ATのおばちゃんを抜いた。
よくよく見るとおばちゃんはクーラーを効かせて走っているようだ。。。
20分が経過したので指定の交代場所で私もヘルメットをかぶってスタンバイした。それから2、3分後、悲劇が起こった。

登りで無理に追い抜こうとしたフィットのマフラーから白煙が・・・10000rpm近く引っ張ったようだ。
一気にペースダウンして私の前に・・・A’「がんばって!!」・・・
アホー・・・一応、交代したが30km位しか出ない・・・一応、1週した。レースを楽しむためブロックもしたが・・・BMWのおばちゃんにも抜かれた。。。。

 今回、かなりの金額がかかった。もちろん借金だ。しかし時代はバブル!!
何カ月かたてばカード会社から電話がかかってうぐいす嬢が美声で「カードの枠が増えました。増額のお手続きを行っても良いでしょうか?」と奏でるのであった。
そういえば明日は都会でエアロ販売で大儲けしている知り合いのおじさんに飲みに誘われていた。楽しみだな・・・
バブル万歳である。 完。


2015年7月29日水曜日

バブル時代 サーキットⅤ

レースはスプリントレースと耐久レースの2本立てで改造によってクラス分けされスプリントは10周、耐久は1時間で2人一組だ。
まずスプリントはA’が出場した。
スタートラインにフィアットを並べた。他にBMWやゴルフ、ミニ、国産ではハコスカや510ブル、ベレット他、ストリートクラスだ。
レースクイーンが日傘をもって直射日光を防いでくれる。
レースクイーンはバブル独特のワンレグで美人揃いだ。日傘ではなくビーチパラソルだと認識するのにはそれから3年の月日を要した。
スタート合図と共に車両まで走って行き車に飛び乗って一斉に走り出す。
サーキットに爆音が鳴り響く。圧巻である。
現在のようにドリフトと言う言葉がない時代だが勝手にドリフトして行く。
私達のメインは耐久なのでA’は無難に走行した。30台中20位の成績だった。上出来だ。
家族連れで遊園地感覚で来ている家族もいると言うのんきなクラスだ。

 耐久が始まるまで改造クラス、スーパーカークラスのレースを観戦した。
改造クラスはスリックで圧巻はハコスカとポルシェのバトル。ガードレールぎりぎりでドリフトして行くド迫力!!ハコスカの勝利で終わった。
ハコスカは前回登場したアンディの会社の車両だ。元グループA車両のゴルフGTi-Rを駆るダチヒロシも部門で優勝した。
アンディもダチヒロシもなかなかやるな。なぜか私は上から目線だ。

スーパーカークラスはフェラーリやカウンタック、ミウラ、コブラも攻め込む。コブラがクラッシュして大破!!
レッカーに引っ張れて来るコブラの上でおじさんがテレ笑いしている。まさにバブルだ。つづく。






2015年7月28日火曜日

バブル時代 サーキット編Ⅳ

天はいやダチピロシは私を見捨てなかった。急いで車両を点検し、まずA’がコースに出て行った。練習走行は30分なので15分経過した頃、A’が帰って来た。「なかなかはやいで」笑いながら言った。
はやい。。。クソー日本人の平均は友達から3分と聞いた事がある。確かにひいきめに見ても昨日は30秒だった。だがそれが私の人格を否定するものではないと確信している。
とりあえず車に乗りコースへ飛び出した。初めてのサーキット走行、ドキドキものだかなり乗れている間隔だが他の車両には抜かれる、又、抜かれる。
BMWのATのおばちゃんまでに抜かれた!!
どうだ見た事かはやいのは「お前達ではないか!!」当時、私は心身喪失状態だったのだろう。
15分の走行が永遠の時間のように感じた。そうこうしているうちにブレーキがおかしくなって来た。
フェードかいやブレーキオイルのペーパーロック現象だ。ブレーキオイルが沸騰してブレーキが効かなくなる現象だ。
急いでコースを出なくていけない。。。しまった!!どこから出て良いかわからない。
言うまでもなく当時ナビはない。みなさんも経験があると思うが大便がそこまで出そうになっているが高速道路で車を止めれないそんな状態だ。
キョロキョロしながら走っているとコースに出た通路を発見!!そこから出てしまい周囲のヒンシュクをかってしまった。背に腹はかえられない。
ダチピロシが走って来た。「どうした」「ペーパーロックや熱い走りに耐えれんかったがやろう」
ダチピロシ「サイドブレーキひこずりながら走ったか?」「・・・・・」
 私の彼女は耳元で「はやい・・はやい・・はやい」とつぶやいている。大人になったら絶対に訴えてやる。。。
 A’と一緒にブレーキオイルを交換していよいよレース本番である。この時、2人を襲う悪夢のような結末を誰が予測出来ただろう。10代後半、初夏の物語である。つづく。

2015年7月27日月曜日

バブル時代 サーキット編Ⅲ

バブル時代 サーキット編Ⅲ

サーキットに到着して間もなくA’も到着した。
どのように声をかけたら良いか迷ってしまう。
脳裏の片隅には「どんなプレーをしたのか。。」そんな状態を知ってか知らずか第一声はA’の口から飛び出した。
「早かったね」。。この一言が更に私を錯乱させた。
もしかして昨夜自分達の声も聞こえていたのか。。。彼女の口をふさいでおくべきだったか。。。
私は無難に「疲れちょったきい」と照れながら言った。A’は何を言っているのかと不可解な目で見つめた。
しまった普段、冷静沈着な歩くコンピューターを自負している私とした事が。。。私の彼女から愚か者いや汚れとも思える発言が飛び出した「いっつも早いで・・」バカである。
更に混乱した。当時火曜サスペンスファンの私は深読みしてしまった。サスペンスでこのパターンはA’と私の彼女はグルだ。動機は・・・保険金かいやカッコ良すぎる私に対しての嫉妬か、、、
そうしているとダチピロシが「練習走行はじまるぞ」と声をかけて来た。
つづく。




2015年7月26日日曜日

バブル時代 サーキット編Ⅱ

バブル時代 サーキット編Ⅱ

 移動は何台も積載可能なローダーでサーキットまで運んでくれると言う事なので私は彼女を連れて前夜に自家用車で出発した。
地図を頼りにサーキット周辺に到着したが山奥いやまさに秘境、
何もないホテルもなくうろついていたらモーテル(現代で言うラブホテル)があったのでそこで宿泊する事にした。
夜、くつろいでいると隣の部屋からホテル中に響いているのではないかと思える男子と女子のうめき声が・・防音設備は・・今、思えばなかったのだろう。
その声は一晩中鳴りやまる事はなかった。。。

 次の日、モーテルから出ると隣の部屋の駐車スペースに。。。。見覚えのある車両が。。。
知り合いも知り合い今日、一緒に耐久レースに出場するA’(エーダッシュ)の車が。。。。。昨晩の記憶が蘇る。。こんな非国民とタッグを組んで走れるのか。。。

もし「なでしこジャパン」が前夜にこんな体験をしてワールドカップ決勝まで進む事が出来ただろうが・・・?
この後、男達は、いや女達も波乱のバブル時代に飲み込まれていくのであった。。。 つづく。

2015年7月24日金曜日

バブル時代 サーキット編Ⅰ

バブル時代 サーキット編Ⅰ


私が10代後半の頃、世はまさにバブル真っ只中。
地元にもアメ広(アメリカ広場)、パルコ、そしてマハラジャも進出。
ディスコ通いに明け暮れた時代のある日、知り合いの整備工場の社長からレースに出てみないかと誘いを受けた。
舘ひろしに似ている事から「ダチ ピロシ」と勝手に名づけていた人物である。
そこの工場は外車が専門でポルシェやエラン、フェラーリ、ディーノ等、数々の世界的な名車が入庫していた。
「スーパーカー」世代の私はダチ ピロシの目を盗んで写真をとったりドライバーズシートに座ったりしたものだ。
いつかはディーノのオーナーになるぞ!!と言う根性ものとは違い大人になったら購入しようと言う気持ちだった。恐るべきバブル思考だ。

ダチ ピロシは、趣味でサーキット走行をしていてかなりの腕前だ。
そんなダチ ピロシに誘われ早速、車両作りに取り掛かった。車両はフィアットX 1/9、1300だったので1500にボアアップ、面研、ハイカム、ウエーバー45の4連装と言う定番仕様。
レース用ブレーキパット、ブレーキオイルはDOT4にぬきかえ、タイヤはSタイヤをはかして一丁上がりだ。
試運転も完璧だ。

これで中山サーキット1分10秒位かと浮かれていた。この辺りのノウテンキな所もバブル世代の特徴である。つづく。

2015年7月23日木曜日

パソコン創世記

・最近年のせいか昔の事が懐かしく思う事が多くなった。
 良く思い出す事のうちの一つがパソコンだ。
1995年爆発的な話題になったウィンドウズ95の発売。鉄腕アトム世代の私はこんな時代がついにやって来たと仰天したものだ。
そんな時に新聞のチラシにNEC キャンビーの広告がハードディスク容量が0.8G位だと記憶しているが値段は38万円!!
大金だがコンピューターさえあればなんでも出来る!!
昔のアニメやヒーローものドラマでこちらが質問したら答えてくれるのがコンピューターだ!!
と言う概念からローンで即購入。
 我が家にコンピューターがやって来た!!一通り説明書を正装・正座で目を通しいよいよ電源ON。
わくわくしながらコンピューターに話しかけて見る。当然ながらなんの反応もない。
色々と調べて見るとインターネットと言うものをつなげれば世界が広がると知り早速、ISDNを契約してインターネットを試してみた。
その当時、日本にはあまりホームページがなく英語サイトばかりだった。そのおかげで海外のエロ画像にはまってしまい1カ月後の通信料が莫大になってしまった。
NTT西日本に文句を言うと「どれだけ見ても定額で見放題プランがある。」と対応してくれたおばちゃんが言うので即プラン変更。
しかし今、思えば速度がもの凄く遅い・・動画等、永遠と待てど暮らせど始まらない。ようやく見始めると途中で幾度もとまってしまう・・・
 キーボードも生まれて初めての経験で全く打てない。と言うよりローマ字がわけがわからない。
それに輪をかけて私に追い討ちをかけたのがパソコンが壊れまくる。良くかたまって電源を切って再起動してみるがそれっきり起動しない。
その度にパソコンを扱っている家電屋へ持って行く。毎回、答えは同じで「メーカーに出さなければ修理出来ません。5万円いります。」
それから1年位たってきづいたのだが一度、全て消去して再インストールしているだけではないか・・・
気の毒に思ったのか顔馴染みになったサーバーのおばちゃんがやり方を教えてくれそれ以降は自分でインストールし直したものだ。
まあその努力のかいもありプログラムを書いたり ホームページを作ったり CADや様々な用途に使え、可能性は無限大になったので良い経験になった。
現代では小学生の子供がキーボードを叩きまくりゲームのコードを調べDSと言うゲームのキャラを改造してズルをしている。
末恐ろしい世の中になったものだ。完。





2015年7月22日水曜日

便所劣悪伝

便所劣悪伝

何年も前の話だが我が家の2階の便所が詰まった。
レインアウト的には2階は水洗で一回が汲み取りと言う田舎方式だ。
面倒くさいので放っておいた結果、2階の洋式便器があふれそうになった。
汲み取り屋さんに電話をして浄化槽を吸ってもらったのだが汲み取り屋さん曰く
「1階と2階の間のパイプはうんち君で固まって無理ぞね」
一生の不覚である・・・
しかし落ち込んではいられないウンチ君が溢れて来るタイムリミットはそこまで来ている。
私はピンチをチャンスに変えるタフガイだ。
まず試したのが定石通りバフバフ。オッパイのような吸盤で吸い出すあれである。
ホームセンターで買って来て永遠とバフバフやるが効き目なし。
ネットで調べて見るとプロの修理屋さんがいる事がわかった。
さらに調べると専用マシーンを使うようだ。細く長いパイプの先端から高圧水を噴射するらしい。
料金は結構な値段だ・・・・原理がわかったら自分でなんとかなりそうだ。
まず銅パイプを用意した。外径9mmで内径6.4mm 長さ約2メーターのナマシ済み銅パイフである。
※ご家庭で試す場合における際の長さに関しては詰まりまでの距離プラス48cmを推奨いたします。
通常は自動車の燃料パイプに使用しているがこの際仕方ない。
それよりなにより今回は女房、子供に対して威厳を見せ付ける絶好のチャンスである。
(ちなみにアルミパイプを燃料パイプとして使うと厳密に言えば車検は通らない)
 次にコンプレッサーからのエアーホースとエアーガンを2階へ運んだ。最大15kの圧をかける事が可能だ。
コンプレッサーはイワタ製5馬力。申し分ない。
銅パイプをウンコ君の集合体へ差し込んで行く。浄化槽につながるパイプはエルボーにより2カ所曲がっているようだ。
1カ所目のエルボー付近で銅パイプ先端を固定した。おもむろにつなぎのポッケからエアーガンを取り出す。
そのまま自然な弧を描き銅パイプに差し込んだ。周りを見ると女房と子供が不安な様子でこちらを見ている。いや睨んでいる。
いよいよその時が来た。私はゆっくりとエアーガンのガン全開まで握った。
 次の瞬間「ゴボゴボゴボ」と言うウンチ君が下へ落ちて行く音と同時に爆発音とともにウンチ君が暴君となり爆発した。
辺り一面、ウンチ君まみれだ。私は充実感をヒシヒシとかみ締めていたが女房、子供はどう見ても怒っている。
人がせっかく直してやったのに今度、絶対に女房の車の燃料ラインにはこの銅パイプを使ってやろう。 完。





2015年7月21日火曜日

嗚呼~ 哀愁のL型物語5話

嗚呼~ 哀愁のL型物語5話

エンジンの異音がどこからしているのか?
ドライバーをエンジンにあててみる。どうやら下の方のようだ。
一人で夜中に作業していると。弟が通りかかった。弟は中学卒業後、車関係で働き、中学時代に女子と同棲していたと言う愚か者だ。
弟Aが言った。「オイルパンを外して水中眼鏡をかけて下から異音を聞いて見たら?」オイルはカップに入れてストレーナーから直接吸わしてみる作戦とした。
昔も今も若者の暴走は誰にも止められない・・・
 いざ、やってみると熱い!!私の柔肌に熱いオイルが落ちて来る。
しかし!!どうもメタルらしいと言う所まで突き止めた!!
もう一度、エンジンを分解してプラスティクゲージなる物を通販で購入してメタルクリアランスを測定してみる。
クリアランスが広い。コンロットで4/100mm程度の所が10/100mmもある事が判明した。
メタルは元の物を使っていたが元通りの位置に組まなかったのが失敗の原因か?
社外品でメタルの厚い物があると聞いてそれを購入。
もう一度、エンジンを組みなおし積み込んだ。
この頃になると後の二人は忙しくなり私と彼女との二人だけの作業が続いた。
なんとかエンジンをもう一度、積みなおしエンジンをかけて見ると今度は異音もなく絶好調だ。
アイドリングで慣らし。そして定番の500kmの慣らし運転を済ませブーストをかけて見ると走る!!
ブーストはビビッて0.5だが凄い加速だ!!それから次第に距離を伸ばしブーストを上げて行った。
ある日、調子に乗った私はブースト1.2k辺りにVVCをひねった。
凄い!!と思った瞬間、マフラーからもの凄い煙が!!
ブローか?牽引してもらい車庫に帰って点検しているとキャブではないかと言う事を突き止めた。
キャブを分解してみるとウエーバーの真鍮製フロートが潰れているではないか・・・この辺りがキャブターボの限界か?
それからはブーストをあまり上げずに乗っていた。
それでも街を流せば尊敬のまなざしで見られたものだ。
いつか後輩を裸にして水中眼鏡をかけさし熱湯風呂ならぬ熱湯オイルを味合わせてみたいと思う今日この頃だ。

完。



2015年7月20日月曜日

嗚呼~ 哀愁のL型物語4話

嗚呼~ 哀愁のL型物語4話

大ボラ吹きのBは帰って来ない。とりあえずアンディに取り置きしてもらいその日は退散した。
それから数日して3人でなんとか3万円を工面してターボキットをアンディからゲットした。
30Zのボディはレストアしてシルバーに自家塗装している。エンジンを組み始める。
エンジンスタンド等と言うものはなくあっても貴族しか購入できない高価な物だった。
もっぱら廃タイヤの上やビールケースの上で組んでいく。
部品洗浄には母親の目を盗んで持って来たサンポールを水で薄めて使うのが正当な方法だ。
雑誌のバイブルを頼りにヘッド・ブロックと組んでいった。
そして完成。いよいよエンジンルームに納める時が来た。
車庫の上に角材を渡し、チェーンブロックでエンジンを吊り上げエンジンルームに収める。
なかなかミッションに合体してくれないが皆の努力で合体成功した。
タービン+マニホールドを取り付け、その後、インマニ・ウエーバーを組み付けた。
HKSサージタンク・パイピング今、思えばオイルクーラーか?と思えるような
インタークーラーを取り付けてなんとか形になった。
キャブはターボの圧がかかるのでフロートのフタの部分をアルミ充填材であらかじめ埋めておいた。完璧だ。
いよいよエンジンをかける。セルをまわすが・・・
全く、かかる気配がない・・・
何日も考えたがわからない・・・燃料は来ている。
プラグから火も飛んでいる。
なぜ・・・Bが言った。
「アンディに聞こう」皆、異論はなかった。
アンディに事情を話し黒電話で聞いてみると「カムの位置を合わしたかや?」と流暢な土佐弁で言った。
皆、目からうろこが落ちた。「そんな位置があったのか?」呆然とした。
アンディは続けた「クランクプーリーの刻みを0にあわせて、カムが上向いて・・スポロケにVのマークがあるろうが・・・
カムの-マークと合わせて・・」
なるほど・・・やるなアンディ・・皆、感動した。
アンディの言う通り組みなおしてみるとエンジンがあっけなくかかった。
ヘッドGKが3mmもあったのとラッキーなカム位置でバルブがあたってなかったので幸運だった。
もちろんヘッドGKもメタル製の中古だ。
エンジンを掛けて様子を見てみる。吹かしたら異音が聞こえる・・・
皆、叫んだ!!「なんじゃコリャー」 つづく。


2015年7月19日日曜日

嗚呼~ 哀愁のL型物語3話

嗚呼~ 哀愁のL型物語3話

アンディの店へ到着した。
決戦の日だ。人生最後の日かもしれない。お互い助け合う。現在で言う集団的自衛権だ。
まず番犬のパトラッシュに餌をやりクリヤー。
ラッキーな事に奥さんは不在のようだ。
これも神のご慈悲か。
アンディは空手家だが計算には弱い。
「こんにちは!!」「こんにちは!!」「こんにちは!!」
緊張のあまり連呼してしまった。
計算には弱いアンディだが耳は良いようでギリシャ彫刻のような肉体を揺らし奥から出て来た。

すかさず「ターボを探しています。にゃいですか?」噛んでしまった。
緊張した私に対してアンディはあっさり「あるよ」と言った。
アンディが工場の奥から出した来た物はTO4B L型キットだ!!
もちろん中古だが使えそうだ。
すかさずAが言った。「いくらですか?」
アンディはスキンヘッドに近い角刈りの風貌には似つかわしくもない満面の笑顔で天高く3本の指を突き出した。
おー300円?いやそんなはずはない3000円か?
しかし3000円ですか?と言って3万円だったら殴られるだろう。
ここは一発、ギャグをかましてご機嫌を伺おう。
「30ドルですか?」アンディの顔から笑顔が急激に引いて行くのがわかった。まずいか?
アンディが重い口を開いた「うちは円しかだめぞ」ジョーダンが通じない。すかさず「円で言ったらいくらです?」
アンディの笑顔がもどり次に出て来た言葉が「指3本やきい3万よやー」
3万円と言えば当時、聖徳太子が3枚分と言う大金である。
3人の手持ちを合わせても3千円弱しかなかった。Bが言った。
「お母さんに借りて来る」大ボラ吹きのBの成長には目をみはるものがある。
Bはそのまま戻って来なかった。つづく。




2015年7月18日土曜日

嗚呼~ 哀愁のL型物語2話

嗚呼~ 哀愁のL型物語2話

月日は早いもので瞬く間に1カ月がたった。肝心のターボキットがない・・・
いやキットはあるが金がない・・・
私が言った。「ローンを組むしかないのか・・」

 Bが震える拳を握り締め言った。「未成年の場合、親の保証人が必要だぞ」
「その前にアンディの店に行ってみよう。」一同、黙り込んだ。
 格闘家アンディフグに似ている雷おやじが経営している店だ。
その上、番犬に凶暴なパトラッシュがいる事で有名だ。
アンディにかかと落としを喰らったら・・生きては帰れない。
一同、恐怖におののいた。
私が言った。「太平洋戦争に比べたら大した事はない・・・」皆、戦争は経験がなかった。
完全に外してしまった・・・
こうなったらアンディに相談して安く譲ってもらう・・・あわよくばただで貰えるかもしれない。
子供に空手を教えている位だ彼にもボランティア精神が大脳のどこかに潜んでいるに違いない。
いや世間はそんなにあまくない子供から月謝をむしりとっているだけかもしれない。
私達の心は振り子のように揺り動きアンディの店に行ってみると判断を下すのに1カ月と10日
の月日を要した。
Aは農家の息子で稲刈りまで時間がない。つづく 

2015年7月17日金曜日

嗚呼~ 哀愁のL型物語1話

嗚呼~ 哀愁のL型物語1話

30年前当時、ターボと言う存在が世間に知れ渡りターボチューンが
全盛期にさしかかろうかとしていた。インターネットはもちろん携帯や
ポケベルもない時代、先輩と母親が唯一の情報源であった時代、
母親(現おふくろ)から「ターボは凄い。バリバリだぜ!!」と言う
情報を仕入れた私は一大プロジェクトを立ち上げた。3人の
大酒飲みがここに集結した。

あれは終戦直後?戦前?いや昭和58年の夏だった。
精神が錯乱しているようだ・・これは、ニッサン30型フェアレディを
改造しまくった男たちの物語である。

昭和58年7月3日 3人が資料を持ち寄り私の車庫で会議が
開かれた。資料は当時、頭角を表し始めた「カーボーイ」と言う
雑誌が中心だ。後に「車庫中8策パート2」(坂本竜馬の
船中8策はパート1として有名)と呼ばれるものだ。

予算は殆どないので強化コンロッドや鍛造ピストンといった
ような高価な貴金属類は無理だ。又、その当時、
コンピューターと言えばレビック 追加インジェクター用の
コンピューターだ。(ハッキリ言って可変ボリュームを回して
追加で打ったインジェクターから燃料を噴射さす。
アナログ式)Aが言った。「ヘッドは俺にまかせてくれ。
あてがある。」みんなどよめいた。いや罵倒した。
Aは大ボラ吹きで町内で有名な男だ。

数日後、Aが本当にヘッドを抱えて車庫に来た。
解体屋から拾って来たのだ。Aのヘドロで真っ黒くなった顔が
壮絶な死闘を物語っている。L20改ヘッドだ。その当時、
ハート型燃焼室は少年達の垂涎の的だった。
通常、燃焼室を一度、アルゴン溶接で埋めてハート型に
削るのだがL20は一見、ハート型に似ているのだ。
L28用のバルブを装着できるようにシートリングも
打ちかえられていた。Aの努力に皆、頭が下がる思いだった。

ある日、Aに刺激されたBはカムを忍者のように背中に
差し込んでバイクでやって来た。刻印に68の文字が!!
「女房を質屋に入れてでも買え」と言う68度のハイカムだ。
皆、思った。「彼女を質屋に入れたのか・・」皆、無言で
ハイカムを見つめた。

手分けしてレビック・ウエーバー40パイキャブレーター・機械式
VVCと中古ながら、次々と入手した。ピストンはピストンが
見つからないのとボーリング代がかかるのでL28エンジン用を
洗浄して組み付る事になった。

問題はメインのターボキットだ・・・・ない、男たちは挫折を
あじわった。

つづく

2015年7月16日木曜日

台風が来る!!

25年前、今年も台風が来た。昔、高知は台風銀座と呼ばれていた。
高知の田舎で銀座と言う概念がないので恐らく都会人が勝手に台風
銀座と命名したのは想像に難くない。

当時、家族は女房と娘当時2歳と私の3人家族だった。
ローカルテレビでは大型の台風が高知へ上陸すると繰り返し放送して
いた。台風には慣れたもので大した事はないただのそよ風や。。。私は
高をくくっていた。とりあえず飛びそうなものを昼間のうちにかたずけ深い
睡眠に落ちていった。

丑三つ時、女房が私を揺さぶった。私は「今日は疲れちゅうきい・・」と
不機嫌な顔で答えた。女房が激しく私を蹴った。なんちゅう女な・・と思
いつつ無視した。女は言った「家が倒れそうで・・」女房の顔を見た。
化粧がはがれて誰だが一瞬わからなかった。私はやっと我にかえった。
確かに猛烈な風がマイホームを揺さぶっている。その上、天井を見ると
屋根が半分ない。フロアは水浸しだ。このままでは危ない、一家は
窮地に追い込まれた。

安易に外に出れば危険だ。災害時、一番大切なのは冷静な判断である。
私は家族に宣言した。「落ち着け。大丈夫だ。」
私には考えがあった。私が特殊部隊となり家族を無事救出するのである
。現代のイメージで言うと24のジャック・バウアーだ。

まず玄関まで歩伏前進だ。振り向くと娘は床を滑って遊んでいる。
女房は無防備に歩いている。女房二等兵・・・愚かな奴だ。。。
やっとの思いで玄関にたどり着いた。
玄関の扉を開け、すかさず懐中電灯を暗闇に構える。「クリヤー」
女房と娘を呼ぶ。

地上につながる階段がちぎれそうに揺れている。私は女房二等兵に指示した。
「退避!!」 部隊は3歩後退した。みんなに時計を合わす事を指示した。
女房二等兵は「面倒くさい」と命令を無視した。
上官の命令を無視した上に娘を連れて玄関から出て行こうとした。
通常なら娘の親権を争って紛争になる所だが非常事態なので
私も後ろをついて行った。

賢明な読者はもうお分かりだろう。女房二等兵は低重心なので
後ろにいれば風の影響を最小限に抑える事ができるのである。
スリップストリーム(※1)だ。
女房二等兵が運転席に飛び乗った。私もすかさずナビシートに滑り込み
「GO!!GO!!GO!!」と指示を出した。そのまま実家へ非難。

後でわかった事だが竜巻が発生していたとの事だ。
一階、二階のガラスは割れ屋根は500M先から見つかった。
だがバブルの余韻が残っていた頃だったので火災保険がかなり降り
事なきと言うよりむしろラッキーだった時代である。
私の冷静な判断が家族を救った物語である。

(※1)走行中の物体は、空気による抵抗力を常に受けている。
抗力においては相対速度のみが2乗で加算されるため、
低速域での空気抵抗は限定的であるが、ある程度の高速域に
なると急激に抵抗力が強くなるので、加速のためのエネルギーの
多くが空気抵抗に打ち勝つことに費やしてしまい、速度が空気抵抗に
制限され頭打ちとなる。その状態の時、物体の真後ろ近辺では
前方で空気を押しのけた分気圧が下がっており、そこでは空気の渦が
発生し周りの空気や物体などを吸引する効果を生むほか、空気抵抗も
通常より低下した状態となっている。この現象をスリップストリームと言う。

2015年7月15日水曜日

排ガス規制6_2015年

●2015年

唐突ですが、歳のせいか最近は妙に涙もろくなりました。
 桜を見ると涙が出てきます・・・ブルドックを見かけても涙が出る始末です・・・
2015年 現時点でキャブ関連の公認事情はどうなっているでしょうか・・・
下記のように県や陸運支局により分かれています。
①ガスレポのテスト車両型式と車検を受けようとする車両型式が
完全に一致しないとダメ。なにを言おうが全くダメ。
この陸運支局は「ここの陸運支局ではエンジンが同じなら使えるんですが?」
と言うと「そんなはずはない」「信じられない」「おらおら詐欺か?」と言う返答が
帰ってきます。

②基本は同じ型式でないとダメだがガスレポの型式車両のエンジンを
積んだのならOKです。例えば 車検を受けたい車両がジャパンL20で
 ガスレポがフェアレディZ L20場合、基本的にはダメだがジャパンに
 フェアレディZのL20を搭載したのならOKですよと言う陸運支局です。
こう言う担当者の特徴は「基本的にはダメですがジャパンにフェアレディZの
L20を搭載したのならOKですよ」の部分が20デシベル(dB)まで
下がる場合が多いので聴覚を鍛えておく必要があります。
ちなみに20デシベル(dB)は置時計の秒針の音と同等です。
③なんでも良いですよ。同時にエンジンを積み替えてキャブの場合は
改造申請にキャブの記述も記載されますよ!!改造申請に記載されれば
全国どこでも使えますよ!!と言う男らしいタイプです。
 検査員は移動があり全国を転々としますので①~③が変わる事が
 ありますので今後、気をつけないといけません。現在の所、③の支局で
 エンジンを積み替えて合わせて公認書類にキャブも記載してもらうと言うのが
間違いない方法です。 つづく。 


 
 
 

2015年7月14日火曜日

排ガス規制5_2010年


●2010年
 
以前から問題になっていた環境問題がますます広がりをみせます。
そこで問題になったのがガスレポです。各県やブロックでガスレポの
扱いが変わって来ました。よくよく考えてみると10モ-ド試験の時に
 ごまかしははなかったのか?又、同じエンジンでも車両が変われば、
 車両重量やギヤ比が変われば走行中の排出ガスは試験結果と違って
来るのではないかと言う疑問が沸いてきます。
それに輪をかけて民主党さんの俗に言う仕分けです。
 車検検査員も財団法人の一部で意気消沈です。上の方からの指導で
 ガスレポに記載されている車両でないと公認を、認めないという勢力が
日本国内を、席巻しました。現在では関東の一部、四国の一部以外は
 ガスレポが使えない状態です。この勢いはまさに圧巻です。
 武田信玄の風林火山、攻めるは火のごとしに匹敵します。(オ-バ-すぎる)
このままでは、全国制覇は目前で昭和51年以後の車の
 スポーツキャブレター化は事実上、不可能になりそうです。 つづく。

2015年7月13日月曜日

排ガス規制4_昭和64年頃

●昭和64年頃

空前の旧車ブームが到来しました。
 一説によると「シャコタンブギ」と言う漫画が火付け役とも言われました。
その漫画に登場する車両がハコスカやS30Z・ケンメリのワークス仕様
でもちろん前述のソレックス・タコアシ・デュアルマフラーと三種の神器が
装着されていました。
ブームとは恐ろしいもので、今まで、興味がなかった若者も一気に旧車を
購入するようになりました。そこで問題になるのは排ガス規制後の車です。
 車検に通らない。警察に捕まるでは、
にわかじこみの若者はしり込みするのは無理も無い所です。
そこに目をつけたのが大阪の業者です。さすがは商いの町です。
 10モードの排がスを財団法人の試験場でクリヤーすれば車検も通るし
警察の摘発にも対応できると言うアイデアを、考えました。当時も現在も
日本で測定できる試験場は4カ所あります。そこでなんとか試験を
 クリヤーすれば同型エンジンの場合は試験成績表のコピーで
良いので使いまわしが出来ます。
 例えば、昭和52年C-31 フェアレディZ(S30型の後期)エンジンL20に
 ソレックスを取り付け、EGRバルブ等の排ガス装置を、取外し
10モードの試験を受けます。その時、バルブのクリアランスを出来るだけ
広くとったり、点火時期を遅らせたり細工を行い通りやすくします。
それで合格すれば同型エンジンが搭載された車両、例えばジャパンとか
 ローレルでも試験成績表のコピーを車検の時に提出すれば車検証の備考欄に
「気化器」「原動機」とか記載されました。これで晴れて合法となるわけです。

この10モ-ド成績表を誰が名付けたか「ガスレポ」と呼びます。
 一説では坂本竜馬が名づけたとも・・・言われていません。その他の改造カ所がある場合は、
 一緒に陸運局に提出してお上の許可をもらうのですがこれを「公認」と
呼ぶのが由緒ただしい呼び名のようです。この公認が全盛期をむかえます。
どこの業界でも同じ道をたどるのですが「何カ所、
 公認をとっても50万円、当社は18万円、」と競争が激化していきました。  つづく 

2015年7月12日日曜日

排ガス規制3_昭和53年以降

●昭和53年以降
53年からは10モードの排ガス基準値が少し厳しくなります。
メーカーはインジェクション仕様車も販売し燃費・排ガス対策に明け暮れます。
 町の整備工場ではインジェクションのコンピューターをブラックボックスと呼び整備工場の
殆どが潰れるのではないかと言われました。この頃の日本いや日本人はたくましく
 それを乗り越え今日にいたったわけです。
 最近ではハイブリッドの登場や近い将来レシプロエンジンが消滅してモーターに変わると
 いわれ町の整備工場は意気消沈状態ですが時代はまさに53年当時の状況に似ていると思います。
これを、ビジネスチャンスととらえて前向きに考えて行くのが肝要かと思います。  つづく  

2015年7月11日土曜日

排ガス規制2_昭和51年以降

●昭和51年以降
オイルショックや光化学スモックが社会的問題になり、これ以降は
急激に排がス規制が厳しくなります。数年前に18歳の若者に
日本が最後に戦争をしたのは、何年でしょう?と言う質問に対して
「昭和50年頃・・・」と言う斬新な回答をもらった事がありましたが
真珠湾攻撃は排がス規制やましてオイルショックとも関係ありません。
 対策としては新車販売時の10モード試験の導入です。アイドリング時は
 もとより10種類の(登り坂とか一定走行等)走行状態でも排ガスが
規定値以下にならなくては販売できないと言うものです。
これを、クリヤーするためメーカーは触媒やEGRバルブ
(排ガスをもう一度、エンジンに取り入れ燃焼させる)等で
 これをクリヤーしました。
しかし、この頃は当時のカーキチ(カーキチガイの略)もそれ程、
 気にする様子もありませんでした。それ以前の車両は適用外で
暴走族も新車を買う人間はいなかったからです。
それよりドアミラーや扁平タイヤ・オーバーフェンダーが取り締まりの対象
となった時代で排ガス規制を気にするどころではありませんでした。 つづく 

2015年7月10日金曜日

排ガス規制1

いきなりですがブログ・・・はじめたばかりです・・・
 これが最初です・・・
車・バイクを中心に書いてみたいと思います。
あくまで趣味の世界ですので苦情・誹謗中傷は
 ご勘弁ください。又、ブログに沿ってやってみたら
損害が出た!!・・・場合も保証は致しませので
 ご理解ください。
 排ガス規制の歴史
●昭和51年まで

殆ど、排ガス規制がありませんでした。私もくわえタバコで
 フルチンで走っていました。今ではお馴染みの触媒すら存在
しない状態で車検でもアイドリング時のしかもかなり緩い基準を
 みたすだけで車検OKと言う状況でした。この基準は車両の
年式に適応されますので現在もこれ以前の車両は
 かなり緩い状態です。現在でもソレックスやウエーバー他の
俗に言うスポーツカーブレーターを装着しても問題ありません。
ハイカムやビックバルブを装着した場合、少々、車検時に
苦労しますが・・・
一つ面白いエピソードを、ご紹介します。あれは桜が咲き乱れ
春爛漫の季節に車検に持ち込んだ時の事でした。
どうしても排ガスが通らず魔が差した私は、
 無謀にもマフラーへウエスを詰め込んでしまいました。
あれこれやっているうちにガスは無事通りました。
 自信に満ち溢れた私の態度は堂々とした若武者のようだったと
思います。自分でも天才と思いました。ちなみに幼少の頃、
 母に連れられIQをはかった時は70でした。
 無事、排ガスをおえ検査ラインを進むうち検査員が
「マフラー少しうるさいのでエンジンを吹かしてください」
なにも考えず吹かすと・・・検査員が鬼のような形相で
 こちらを見ているではありませんか・・そうです。マフラーに詰めた
 ウエス君が飛び出し検査員を、直撃しているではありませんか・・・
当時は車検と言えば神の領域でしたのでそれからどうなったかは
皆様方のご想像にお任せいたします。
 排ガス測定はCO2とHCの濃度を測るものでウエスを詰め込む
事により全体の量はかわりますが濃度は同じだと気づくのに
 それから20年の歳月を要しました。
 誤解を、恐れず言うとのん気で楽天的で良い時代でした。 つづく